バニーズ誕生

●寺内タケシとバニーズ誕生
 エレキ・ファンの人なら誰れでも御存知の通り寺内タケシは今年の4月に突然病気で倒れてしまい「結核性リンパ腺炎」という病名をかかえて、やむなく入院生活に入りました。日本のポピュラー界を一手に背おっていただけにそのショックは気の弱い彼の心を一層弱めてしまい、一時はギターをやめ芸能界を引退しょうとまで、決意しました。かし彼は周囲のあたたかい看護に守もられ、じっと我慢して病いとたたかい、そのかいあって、早くも6月に入ってから、彼は奇跡的に病を克服してしまいました。こうなると、彼の弱気な心はフッ飛び、健康を取りもどすや彼は決意したのである「俺にはギターしかないんだ。これから先はギターを弾き統けよう」と。
 (この間、ブルー・ジーンズをやめても、全国の多くのファンの人達からの激励の手紙や、御見舞の数々が、彼がカムバックすることを決心させた大きな原因の一つである事も忘れてはいけない。)こうして、寺内タケシはふたたびバンドを作ろうと立ち上がったのです。まず、彼はメンバーを集める為に立ちあがりました。今までにない若いフレッシュなメンバーをと言う事を頭において・・・。
彼は横浜に住んでおり、港町のせいか横浜という街は音楽に対する感覚がするどく、世界のリズムが日本で最初に聞かれる土地でもあり、横浜のアマチュアバンドの中にはかなりその才能を持った人が多い。そのせいか集めたメンバーは全員が横浜出身の浜っ子ばかりである。最初にベースの小野肇を次にギターの興石秀之、エレクトーンの荻野達也、ギターの黒沢博、そしてドラムスの井上正の順で6月20日全員が勢ぞろいした訳である。7月に入るとバンドに名前がないまま鎌倉に別荘を貸りて全員で合宿生活に入り、日増しにその才能を発揮し、8月に入ってからのスタジオでの総仕上のおケイコで完全なものが出来上ったのである。名前も「寺内タケシとバニーズ」と名付け、ここに世界一のバンドが誕生したのであります。
●バニーズ、初のレコーディング
 かくして誕生した「寺内タケシとバニーズ」は全国のファンに答えるため、9月19日東京音羽のキングレコードスタジオで10日間に渡るレコーディングに入りました。このアルバムに収められている全12曲が、そのすべてですが、その内訳けは11曲が彼らのオリジナル曲で、内5曲がヴォーカル、6曲がインストルメンタル、残る1曲「アイ・ビリーヴ」が外国曲であります。オリジナル11曲はヴォーカル、インストルメンタルを問わず、典型的なリヴァプール・サウンドのロックン・ロールから、今流行のフォーク・ロック迄、幅広くヴァラェティにとんでおります。「テスト・ドライバー」をはじめとするインストルメンタルでは、「津軽じょんがら節」や「越後獅子」でみせた彼の高度のテクニックが、少しも劣えていない冴えをみせております。ここに彼の真随がありと思わず唸りたくなる程です。一方「帰らぬ誓い」をはじめとするヴォーカルでは、フォーク・ロックをのぞかせ、寺内タケシが以前のものだけでなく大きく進歩していることをしめしています。彼らのレコーディングは他のレコーディングにはみられない雰囲気がただよい、寺内タケシ自から木刀をもって気合いを入れるという真剣さであります。この雰囲気の中からあの迫力ある、ダイナミックな音が生れて来るのです。彼寺内タケシが再起を決意してから練りに練った構想がここに実ったわけであります。彼らの構想、思惑が、そのまま十分発揮されたかは疑問ですが、彼らは全力を尽したという気持から、必ずや、このレコードがファンに十分答えるものであろうという確信を得て9月19日最終的にレコーディングを終えました。彼らのすべてを出し切ったこのアルバムほ必ずあなたを陶酔の世界におさそいするでしょう。彼らの成果とそのテクニックを十分味わって下さい。

(Side.1)
●寺内タケシ(リード・ギター)
 電気屋の息子として生まれたせいか、クラシックギターにマイクをつけてバカでかい音を出すなんてことは朝飯前で、大きな音を出しては一人で満足していた。
5才の時ステージに上り、2〜3曲披露したのがデビューのキッカケであるから驚きだ。このガキ大将が、後の日本ポピュラー界を背負ってゆく寺内タケシの幼少時代のエレキっぷりである。エレキギター同様、彼の演技力にも注目するところがあり、今や東宝の看板を担う、加山雄三を一躍スターダムにのし上げた「若大将シリーズ」ものや、数回のテレビ出演で御存知の事かと思います。又、今秋のレコード大賞の編曲部門の候補に上げられており、民謡に引き続き、今度は何をアレンジし、又作曲するか期待する所が多い。
●黒沢 博(サイド・ギター)
 幼い時に母がなくなり、今は横浜に3人の兄弟と一緒に住んでおり、男ばかりの家庭に育った為か、何かさみしさを感じさせられる。
まだ18才という彼は、長身から力いっぱい唄うその姿は、たのもしく又はずかしそうに唄うステージは大変受け、変な所に人気がある。
一番上の兄は、今東宝映画で売り出し中の黒沢年男で兄弟そろって女性にはよく○○る人です。
●興石秀之(リズム・ギター)
 彼の父は、音楽の評論家であり、その影響でいろいろ芸を選び、特に唄に於いては彼でなくては歌いこなせない力をもっております。
その甘い声に魅力がありレコード吹き込みの話ももち上がっている。
今は寺内タケシの出身校関東学院大学に在学中の為ギターと共に勉学に励んでいる。
●荻野達也(エレクトーン)
 生粋の浜っ子で兄の影響で幼少でギターを持ち、その後スチィールギターを高校在学中に、又スターレ大学に入ってからは、モダンジャズに熱中し、独学でヴァイヴ、ピアノ、エレクトーンを習得、そのモダンなヴァイタリティーあふれるフレーズなどは、これから大型化してゆくステージにはかかせない人物である。
現在もジミー・スミスとは友好関係にあり、編曲等を勉強している努力家である。
●小野 肇(ベース・ギター)
 横浜のアマチュアバンドでベースを弾いていたが、寺内タケシが「横浜にベースの小野あり」を聞き込み、そのリズムカル弾きっぷりにホレ込みスカウトした。
ベース歴は2年たらず、まだまだこれからであるが、なかなかの根性型で、ベースギターを抱いて寝る程で暇さえあればギターをいじくっている。
彼は、剣道4段の免状を高校在学中に修得し、その腕前は剣道ファンなら誰でも知っているハズである。
●井上 正(ドラムス)
 小さい頃から唄が好きで勉強していたが、どうしても唄に対するリズム感覚というものに対して不安をいだき、13才の時からドラムを習得する事によってリズム感覚を身につける様努力して、唄えるドラマーとして、その強力なパンチとビートあるたたきっぷりは他のドラマーを寄せつけない。
又、彼は日本古来の尺八の名取りで"朝日のあたる家"で変った所を聞かせてくれる。

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